長崎市で発表したメッセージで、「核兵器禁止条約」に言及し、核兵器廃絶を訴えた。
日本を訪問中のローマ教皇(法王)フランシスコは24日、長崎市で発表したメッセージで、「核兵器禁止条約」に言及し、核兵器廃絶を訴えた。
教皇は「国際的な平和と安定は、相互破壊への不安や、壊滅の脅威を土台とした、どんな企てとも相いれない」と発言。
東西冷戦中、バチカンは抑止力としての核保有を容認していた。1982年、ヨハネ・パウロ2世は国連総会へのメッセージで、核抑止力は「軍縮への道の一段階として、倫理的に認められる」と明記。
同条約は2017年、国連で採択。核兵器の製造や配備に加え、「使用による威嚇」を禁じた。
ローマ法王フランシスコは18日、23日の訪日を前にビデオでメッセージを発表した。
法王は24日に長崎、広島を訪れる予定。メッセージで法王は、「日本は戦争によって引き起こされた苦しみへの自覚を持つ国です」と呼びかけ
「桜の花に象徴される日本の文化のすばらしさ」に言及し、訪日は「すべてのいのちを守ることを推進、強化したいとの共通の思いを表す機会になる」と意気込みを語った。
「長崎を最後の被爆地に」胎内被爆の長崎大司教、教皇のメッセージ期待
禁教下に信仰を守った「潜伏キリシタン」の子孫であり、胎内被爆者でもある。「キリシタン弾圧の歴史への言及、
「被爆、弾圧を経験した長崎からの発信は世界への影響力が大きい」。
カトリック中央協議会によると、世界の信徒約13億人のうち、日本は約44万人と1%にも満たない。
修道会「イエズス会」出身の初の教皇となったフランシスコは、かつて宣教師として日本に来ることを希望していた。こうした事情を知り、教皇が就任した2013年以来、来日を呼びかけてきた。
昭和56年2月に来日した教皇ヨハネ・パウロ2世の記憶は今も鮮明だ。
珍しく雪が降った長崎で平和を希求する姿に、「強烈な印象を受けた」と回想する。
戦後十数年がたった昭和30年代、高校2年のいとこが白血病を発症した。
熱心なカトリック信者だった家庭に生まれ、中学生のころに神父を目指し本格的に学び始めた。
清貧を好み、弱者に寄り添う現場主義であり、前例にとらわれない姿勢から世界的にも人気が高い教皇。
「その行い一つ一つが信者や世界に影響を与える方。それに応えるようなお姿を見せてほしい」。